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東京高等裁判所 昭和48年(う)2856号 判決

主文

原判決中被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役一年に処する。

原審における未決勾留日数中一〇〇日を右本刑に算入する。

本裁判確定の日から三年間右本刑の執行を猶予する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中島通子、同丸田哲彦連名提出の控訴趣意書、同補充書記載のとおりであるので、これを引用し、これに対し、次のように判断する。

一控訴趣意第一、訴訟手続の法令違反をいう点について。

所論は、これを要するに、(一)刑訴法三二六条二項の擬制同意は、同法三四一条の「被告人が退廷を命ぜられた」場合には生じない。(二)仮に同法三四一条の場合に、同法三二六条二項の適用があるとしても、原審第三回公判期日に、原審裁判長が、被告人に対してした退廷命令は違法なものであつたから、同公判期日において、同法三二六条二項による同意を擬制して書証の取り調べをしたことは違法である。(三)擬制同意により取り調べられた書証を、証拠能力ありとして証拠の標目中に掲げ、被告人について原判示第二の事実認定の証拠として用いた原判決には、訴訟手続の法令違反があるというものであるほか、第三回公判期日において、被告人の意見陳述をさせなかつた原審の措置は、刑訴法二九一条二項に反するもので、この点にも原判決には訴訟手続の法令違反がある、というものである。

被告人は、憲法三一条、三七条により、公開の法廷において、その面前で、適法な証拠調の手続が行なわれ、被告人がこれに対し意見弁解を述べる機会が与えられた上でなければ、犯罪事実を確定され有罪の判決の言い渡されることのない権利を有するものであるが(昭和三一年七月一八日大法廷判決、刑集一〇巻七号一一四七頁参照)、被告人が在廷する法廷において適法な証拠調の手続が行なわれる憲法上の権利、被告人が反対尋問を行なう憲法上の権利および公訴事実につき意見弁解を述べる憲法上の権利は、被告人において、これを放棄しうるものと解せられるのであり、被告人が許可をうけないで退廷し、又は適法な退廷命令にもとづき裁判長から退廷を命ぜられた場合には、その公判期日に関する限り、被告人が、在廷する法廷で証拠調の手続が行なわれる憲法上の権利および、その公判期日において取り調べられる証拠につき反対尋問権を行使する憲法上の権利を放棄したものと解せられるものであり、刑訴法三四一条、三二二六条一項、二項は、これと同一の憲法解釈に則り定められたものと解せられる。従つて、刑訴法三二六条二項にいう「被告人が出頭しないでも証拠調を行なうことができる場合」には、同法三四一条にいう「被告人が許可を受けないで退廷し、又は秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられた場合」が含まれるのであり、この場合、その公判期日に行なわれる証拠調につき被告人自身は反対尋問権を放棄したものとして「前項の同意があつたものとみなされる」わけであるが、被告人が許可をうけないで退廷し、又は秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられた場合においても、被告人は憲法三七条三項の弁護人に弁護してもらう権利を保有するものであるから、刑訴法三二六条二項但書は、弁護人が出頭したときには、弁護人において、証拠調請求につき意見を述べ、反対尋問をすることができるから、同条同項本文にいう同意の擬制を排除し、その限度において、被告人が反対尋問権を放棄しても、弁護人に訴訟法上反対尋問権があることを定めているわけである。また、被告人において、許可をうけないで退廷し、又は秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられる以前に、検察官の申請する書証に対し、自ら、または弁護人を通して不同意の意見を表明し、反対尋問権を放棄しない旨の意思表明をしていた場合は勿論、公訴事実の全部又は一部を争う旨の具体的な意見の表明をしていた場合にも、その限度において、被告人に不利益な書証については、反対尋問権を放棄せず、刑訴法三二六条一項の同意をしないものとの推認がなされなければならないのであり、これらの場合には、被告人が許可をうけずに退廷し、または秩序維持のため裁判長から退廷を命ぜられた場合においても、同条二項による同条一項の同意が擬制されないと解せられるべきものである。さらに、刑訴法三二六条二項により、同条一項の同意が擬制される場合においても、「被告人以外の者が作成した供述書又はその供述を録取した書面」については、被告人側が争つている事実に関するものである場合にまで、同意を擬制するときには、憲法三一条、三七条の予定する直接審理主義が形骸化し、公正な刑事手続の最少限度の基準すら失われるに至るおそれなしとしないから、刑訴法三二六条二項による擬制同意は、この限度において適用はないものと解せられるべきものである。

原審記録を調査してみると、原審第三回公判調書(その記載の正確性につき原審弁護人から異議の申立がなされ、原審裁判長は、その記載が正確である旨の意見を表明したもの)には、被告人は、公訴事実についてはいまは述べないと述べたうえ、被告事件と関連性のない陳述を始めようとしたため、裁判長が、その陳述を制限し、裁判長の訴訟指揮に従つて陳述するよう促したところ、被告人は、なぜ従わなければならないのか等と言つて、裁判長の訴訟指揮に応じないので、裁判長は被告人の意見陳述を禁止し、右訴訟指揮に従わない被告人に退廷を命じた旨の記載があり、その記載内容に照らせば、被告人に対し、本件と関連性のない意見陳述を禁止した措置および同人に対する退廷命令は、適法なものであつたと認められる。右第三回公判期日において、退廷命令が発せられ、擬制同意により、書証が取り調べられる以前に、公訴事実について、これを争う具体的な意見の表明は被告人よりなされていないし、また、第三回公判において検察官が申請を予定した書証に対し、不同意の意見を表明し、反対尋問権を放棄しない旨の意思表明が、被告人またはその原審弁護人によりなされた形跡もない。加えて、右第三回公判開廷前に行なわれた進行予定打合せの折、これら書証につき、同公判期日に証拠調請求がなされることが、原審弁護人により諒知されていたものであると認められるものであるところ、右各書証についての証拠調請求前、原審裁判長が原審弁護人に対してした、「弁護人らが審理の立会を放棄し退廷すると、後刻予定されている検察官の書証の取調請求について、刑訴法三二六条二項が適用されることもある」旨の警告を無視し、証拠調請求予定の右各書証につき、不同意の意見を述べることなく、原審弁護人が全員退廷したことが認められる。

また第三回公判期日において、擬制同意により取り調べられた書証のうち、原判決が、証拠の標目中に掲げているものをみると、司法警察員作成の実況見分調書、司法警察員作成の写真撮影報告書、司法警察員作成の領置調書、司法警察員作成の捜索差押調書などは、刑訴法三二一条三項により、警視庁科学検査所技術吏員作成の鑑定書は、同条四項により、作成者が証人として尋問をうけ、真正に成立した旨の供述をした場合、証拠能力が付与される性質のものばかりであり、前記の擬制同意の適用をみないものは含まれていなかつたものである。

これら事実関係のもとにおいては、原審第三回公判期日において、取り調べられた書証のうち、原判決が、証拠の標目中に掲記している書証については、刑訴法三二六条二項により、証拠能力が付与されたものと解せられるから、これを証拠調し、判決の証拠の標目中に掲記した原審の措置には、結局、訴訟手続の法令違反のかどはなく、論旨は理由がない。〈後略〉

(荒川正三郎 時国康夫 奥村誠)

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